主日礼拝
齋藤 正 牧師
《賛美歌》
讃美歌68番
讃美歌285番
讃美歌298番
《聖書箇所》
旧約聖書:イザヤ書 53章6-8節 (旧約聖書1,150ページ)
53:6 わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。
53:7 苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。
53:8 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。
新約聖書:マルコによる福音書 15章1-15節 (新約聖書94ページ)
◆ピラトから尋問される
15:1 夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。
15:2 ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。
15:3 そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。
15:4 ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」
15:5 しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。◆死刑の判決を受ける
15:6 ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。
15:7 さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。
15:8 群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。
15:9 そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。
15:10 祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
15:11 祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。
15:12 そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。
15:13 群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」
15:14 ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。
15:15 ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
《説教》『神に背を向ける者』
ユダヤ最高法院サンヘドリンでの大祭司カイアファの裁判は主イエスを死刑にしようと進めましたが、ローマ帝国の植民地ユダヤには、死刑の執行権がありませんでした。夜が明けると最高法院のユダヤ人指導者たちは主イエスの刑の執行を求めて、ローマ帝国から派遣された地方長官と言うべきポンティオ・ピラトに主イエスを引き渡しました。15章2節のピラトの質問「あなたがユダヤ人の王なのか」は、14章61節の大祭司の質問「お前はほむべき方の子、メシアなのか」を対比すると二人の狙いの違いがよく分かります。主イエスの裁判の舞台は、ポンティオ・ピラトのもとへ移りました。大祭司の屋敷で行われた最高法院サンヘドリンの裁判を「夜の法廷」と呼ぶのに対し、この場面を、通常、「朝の法廷」と呼びます。
地方長官ポンティオ・ピラトの人物像について映画や小説などでは、極悪非道の人物、邪悪で傲慢で狡猾で、また冷血な植民地支配者として描かれる場合が多いようです。
しかし、ここで、この従来のピラトの人物像の見直しが必要と思われます。
ポンティオ・ピラトは、聖書では「総督」と訳されていますが、それは正確ではありません。ピラトは、シリア総督の下でユダヤ地方に責任を持つ行政官であり、軍事収税官、あるいは地方長官、昔の日本であれば代官とでも言った方が適切です。古代ローマの資料から明らかになっているピラトは、比較的有能な植民地官吏であり、平凡な気の小さい男というのが古代史の資料から読み取れる彼の姿です。
そしてこの日の主イエスの裁判において、主イエスの無罪を明白に認めたのは、ポンティオ・ピラト一人だったのです。
聖書に記されたピラトの審問は、読めば読むほど、「彼が如何に主イエスの無罪の宣告をしたかったか」が明らかです。2節のピラトの「お前がユダヤ人の王なのか」という尋問は、大祭司たちの訴えを繰り返したものにすぎません。大祭司たちの告発を信じられないピラトの姿がここにあるのです。
そして、4節に「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに」と主イエス自身からの弁明を求めており、それを自分の判決の決め手にしようとしています。ここを別の訳では「彼らは躍起になってお前を訴えているのだ」と記していますが、まさに名訳でしょう。
例えば、ルカによる福音書23章13~16節には「ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。『あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何にもしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』」とあります。
また、ヨハネによる福音書19章4~6節には「ピラトはまた出て来て、言った。『見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。』 イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、『見よ、この男だ』と言った。祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、『十字架につけろ。十字架につけろ』と叫んだ。ピラトは言った。『あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。』」とあります。
どの福音書を見ても主イエスを解放しようとするピラトの姿が記されているのです。
そしてピラトは、遂に最後の手段を取ったことが6節以下の「ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。そこで、ピラトは『あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか』と言った。祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。」とピラトは祭司長たちの動機までお見通しでした。
ここの7節の「暴動」と訳されている言葉は「反乱」「治安を乱す」という意味の言葉で、バラバは単なる盗賊ではなく、ローマ帝国に対する反乱、ユダヤ民族主義運動過激派の実行犯であったと思われます。
当時のユダヤでは、武力によってローマの支配に対抗しようとする活動が盛んになっていました。彼らは民衆の支持を背景にして、ローマと結んでいるユダヤ人指導者たちの暗殺などのテロ活動を行っていました。当然、大祭司たちもユダヤ民族の裏切り者として、暗殺者リストの第一にあがっていた筈です。「バラバとイエス、どちらを赦すか」とピラトが言えば、大祭司たちは、危険なテロリスト「バラバの処刑を選ぶに違いない」と考えるのが当然です。ポンティオ・ピラトが、何とか主イエス釈放しようとしていたのは間違いないでしょう。
ところが11節にあるように、祭司長たちは、驚くべきことに、バラバの釈放を要求しました。
ユダヤ人指導者たちは、バラバとイエス、どちらが自分たちにとって恐るべき相手なのか。その判断が出来なくなっています。神の御子を憎む者は、自分の命を狙う者の危険性をも忘れてしまったのです。
武闘派のバラバはテロリストとして、ある種の英雄であり、大祭司たちの思いと違って群衆がバラバの釈放を求めたというのはありえることだったのかも知れません。
12節以下には「そこで、ピラトは改めて、『それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか』と言った。群衆はまた叫んだ。『十字架につけろ。』」とあります。ユダヤ伝統の処刑方法は「石打の刑」です。律法に背いて十字架刑に処せられた者は一人もいません。ユダヤにおける十字架刑は、ローマが植民地の政治犯を処刑する場合に、見せしめのためにより残酷に行ったものであり、ローマ市民権を持つ者には決して適用されませんでした。逆に言えば、ユダヤ人にとって、十字架刑は征服者ローマの圧政の象徴でもありました。
これは、ピラトにとって実に意外なことでした。かたくなに律法を守り続けて来た筈のユダヤ民衆が、大祭司を先頭に、今や、あれほど嫌っていたローマ法の実施を、公然と要求しているのです。
ついにピラトは折れました。15節に「ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。」とあります。
ピラトは何故群衆を満足させようと思ったのでしょうか。マタイ福音書27章24節では「暴動が起こりそうであった」と記されています。また、ヨハネ福音書19章12節では、「もしこの男を釈放するならば、あなたは皇帝の友ではない」とあります。これは「反乱罪で密告するぞ」と、群衆から脅迫されていることを意味しています。
最果ての植民地ユダヤの地方長官ピラトにとって、ナザレのイエスの処刑は、ユダヤ人同士の内輪もめでしかなく「どうでもよいもの」でした。「理解できないユダヤ人同士の問題に深入りするな」、これがローマ支配者の鉄則でした。思いもかけない要求をするユダヤ民衆に対し、「それなら勝手にせよ。私には責任がない」、これがピラトの結論でした。
為政者は現実と妥協して行くものです。手の付けられない群衆を収めるためには、その要求を、自分の立場が危うくならない範囲で満足させてやるものです。
こうして、ポンティオ・ピラトは、ナザレのイエスを十字架につけることに決めました。
このように、主イエスの十字架をピラトが決定した経緯を聖書から見ると、いつの間にかすべてが狂ってしまい、「世をあげて御子を死に追いやった」ということになるのです。そして、この「すべてが狂っている」というところが、「神に背を向けて生きる世界の必然であった」のです。
「罪」とはそういうものです。後から考えても何故そんなことをしたのか理解できないことをしてしまうのが、私たちの罪の特徴であり、サタンの業そのものなのです。この人々を前にして、主イエスは沈黙を守られたと聖書は告げています。
先程、司式者にお読み頂いたイザヤ書 53章6節から8節には、
わたしたちは羊の群れ
道を誤り、それぞれの方角へ向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。
苦役を課せられて、かがみ込み
彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
捕えられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。
主イエス・キリストは、このイザヤ書53章の道を行かれたのです。罪の中にある人々を救うために、父なる神の御心を成就するために、罪の醜さをさらけ出している人々の姿を見つめつつ「命ある者の地から断たれた」のです。
御自分を死へ追いやる人々の救いのために、さらにそれ以上の罪を重ねさせないために、沈黙を守られたのです。
この救いの恵みを受ける者こそ、「十字架につけろ」と叫び続けた群衆の中に自分自身の姿を認める者でなければならないのです。
十字架を背負われて歩まれる神の御子の眼差しに支えられて御国への道を目指す。それこそが十字架を見つめて生きるキリスト者の本当の姿なのです。
お祈りを致しましょう。