主日礼拝
齋藤 正 牧師
《賛美歌》
讃美歌7番
讃美歌332番
讃美歌500番
《聖書箇所》
旧約聖書:詩編 9編2-11節 (旧約聖書840ページ)
9:2 わたしは心を尽くして主に感謝をささげ/驚くべき御業をすべて語り伝えよう。
9:3 いと高き神よ、わたしは喜び、誇り/御名をほめ歌おう。
9:4 御顔を向けられて敵は退き/倒れて、滅び去った。
9:5 あなたは御座に就き、正しく裁き/わたしの訴えを取り上げて裁いてくださる。
9:6 異邦の民を叱咤し、逆らう者を滅ぼし/その名を世々限りなく消し去られる。
9:7 敵はすべて滅び、永遠の廃虚が残り/あなたに滅ぼされた町々の記憶も消え去った。
9:8 主は裁きのために御座を固く据え/とこしえに御座に着いておられる。
9:9 御自ら世界を正しく治め/国々の民を公平に裁かれる。
9:10 虐げられている人に/主が砦の塔となってくださるように/苦難の時の砦の塔となってくださるように。
9:11 主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。
新約聖書:使徒言行録 3章1-10節 (新約聖書217ページ)
◆ペトロ、足の不自由な男をいやす
3:1 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。
3:2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。
3:3 彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。
3:4 ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
3:5 その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、
3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
3:7 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、
3:8 躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。
3:9 民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。
3:10 彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。
《説教》『キリストの名によって』
使徒言行録に記録された主イエスが人として生きておられた時代のエルサレム神殿には「美しい門」と呼ばれる門がありました。神殿は、高い城壁に囲まれ、広大な面積を持っていましたが、その城壁の中は大きく二つの地域に分けられていました。外側は「異邦人の庭」と呼ばれ、誰でも入ることが許され、大衆のための広場の役割を果たすもので、東西三百メートル、南北五百メートルの広い境内がありました。
その「異邦人の庭」と呼ばれる境内の中央に、さらに高い壁によって囲まれた内側に神聖な神殿があり、十三の門によって、その中へ入ることが出来るようになっていました。
その門のうち、最も美しく装飾されていたものが、聖所の中央に達する正門とも言える東門・ニカノール門であり、銅の下地に金が細工され、陽が当たると輝くので、人々は「美しい門」と呼んでいました。
この門は、「美しい」というだけではなく、「聖域」への入口で、その門から中へは、神の民ユダヤ人だけが入ることが許され、異邦人および罪人と呼ばれた人々や、重病、障害を持つ人々などは「入るのが禁じられていた」のです。このことを先ず頭に入れておかなければなりません。
門には、異邦人および穢れた者の立ち入りを禁止することを定め、「捕えられた者は、自ら責任を負うべきであり、その結果は死である」と書かれた禁止札が立てられていました。この禁止札は発掘され、現在、イスタンブールの考古学博物館で実物を見ることが出来ます。「美しい門」とは、「神の前に出られる人々」と「出られない人々」とを厳密に区別する門であり、「異邦人の庭」にまでしか入れない人々にとって、「神の拒否」を象徴する門であったと言えるでしょう。
神殿へ来る人は「礼拝」を目的にしていました。神の御前に出て祈ることが目的でした。その祈りの願いは、「神の御手を必要とする人ほど強い」筈であり、孤独の寂しさや、身体の痛み・障害を持つ苦しさなど、悩みが強ければ強いほど、神の慰めを祈り求める願いは強かった筈です。
しかしながら、ユダヤの律法は、このような人々が神の御前に出ることを固く禁じていたのです。不信仰な者、邪まな思いを抱く者はともかく、長い間の病気や肉体的な障害に苦しむ者までも、ユダヤの律法では「神の怒りの結果」と見做して礼拝を禁じたのです。
これは一見奇妙なことと思われるかもしれませんが、これこそが律法主義の行き着くところでした。幸福は神からの祝福であり、健康は神より与えられた恵みであるという感謝の信仰は間違ってはいませんが、不幸は神の怒りと考えてしまった結果でした。誰にでも、重い病気に侵されたり、肉体的・精神的な障害に苦しめられることはありえます。こんな時こそ、「神に願い求める」のが私たちの思いではないでしょ言うか。それを、「神の怒りの現われ」と決めつけられ、神の御前で「罪人」と見做されたのです。従って、慰めと救いを求めて神殿に願い求めに来る惨めな境遇にある人々にとって、「異邦人の庭」と聖域の「聖所」の間に立つ禁止札は、「神の拒否宣言」であり、「聖域」の入口に設けられている門は、「通るに通れぬ疎外の象徴」でした。「美しい門」と名前は美しくても、その門は、祈り願いたくとも、「お前は入ってはならない」という差別の象徴でした。
今日の1節に、「ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。」とあります。そこには「生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。」とその足の不自由な男が「施しを乞う」ために門の入口外側にいたのです。この男の足の障害は「生まれながら」と記されており、4章22節によれば、四十歳を過ぎていたとあるので、もう何十年もこのような生活を続けていたのでしよう。そしてこの日も、いつものように、「美しい門」を入る人々に施しを求めていました。
「施し」と訳されているギリシャ語のエレーモスノーは、「憐れみ」という意味です。「憐れみ」とは、憐れむべき「惨めさ」が前提であることは言うまでもありません。
この男の求めは直接的であり、一言で言えば、「金をくれ」と言うことでした。彼は「生まれながらの障害」を他人に見せ、その「惨めさへの憐れみ」を「金」によって贖うことを求めたのです。このことは、5節に「何かもらえると思って」と書かれていることからも明らかでしょう。
彼は、自分で歩くことが出来ない重度の障害者でした。働くことも出来ず、また働く場も与えられない人間で、当然、誰よりも貧しかったでしょう。好んで物乞いをしていたわけではありません。生きて行くためには、自分の「惨めさ」を他人の眼に曝すことが、彼にできる唯一の方法でした。
しかしながら、「惨めさ」とはいったい何かという本質的問題を、聖書は、改めて問いかけているのではないでしょうか。
通り過ぎる人々から金を貰い、その金で、一日の生きるための食べ物を得ることは出来るかもしれません。しかし、彼は、翌日もまたここに座らなければならないのです。通り過ぎる人々の「憐れみ」は、その日一日の飢えをしのぐだけであり、明日を保証するものではありません。言わば、「食べるために生きる一日」を支えるだけなのです。
主イエス・キリストは、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言われました。また、「何よりも先ず、神の国と神の義とを求めなさい」と言われ、「明日のことまで思い悩むな」とも言われました。
しかしながら、何年も何年も、長い間「美しい門」の内側に入れず外に座っていた男には、神の御前に出ることも、そこで赦しと慰めを祈ることすら許されなかったのです。祈るべき場所に至る「美しい門」は、彼のためには開かれていませんでした。「お前は、ここに入ってはならない」という「拒絶」が、その男の心を支配し続けていたのです。
神の民イスラエルの一員として生まれながら、神の民から除外され、拒絶の言葉を聞き続けなければない人生とは、いったい、何であったのでしょうか。この男にとっての本当の悲惨とは、「永久に『門の外』に留め置かれていることにあった」と言わなければなりません。
人間の悲惨の原点を、創世記は何と言っているでしょうか。アダムとエバを楽園から追放した主なる神は、「園の入口をケルビムときらめく剣の炎によって閉ざした」と聖書は記しています。「ここから入ることを許さず」という断固とした宣言でした。
罪を犯した者に対する神の拒否。これこそ、神の怒りの下にある人間が受けなければならない「惨めさ」です。神の国の入口を間近に見ながら、自分が背負う罪のため、その手前に留まらざるを得ない者、それが、この男が人々から受けていた「惨めさ」の本当の意味でした。
全ての人間が背負う罪と、その罪故の「惨めさ」、神の御前に出る人の後姿を、ただ見送るだけの人生。この男は、「罪人」という札を背負った私たち自身の象徴として、神の国の入口に座っていたのです。
4節で、ペトロとヨハネの二人は、「わたしたちを見なさい」と言いました。なにを「見よ」というのでしょうか。
物乞いをしていた、この男は、まさに「食べるために生きているだけ」でした。しかし、ペトロとヨハネは、「わたしには金や銀はない」と言うのです。これは、二人が貧しくて与える物がないと表明しているのではなく、真実の「憐れみ」は、「金銀の施し」にはないということです。人間を「神の国の外に追い出している罪をどうするのか」という問題です。
「私たちには、あなたに施すだけの金はない」という言い訳ではなく、むしろ、「私たちは、もっと大切なものを持っている」という積極的な宣言です。人には、「食べるために生きる」ということのほかに大切な生き方があるということです。
「ペトロとヨハネは彼を立ち上がらせると、足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。」とあります。
ここで大切なことは、「立ち上がって歩いた」ということではありません、神から拒否させられていたその男が、「二人と一緒に境内に入って行った」ことが「奇跡」なのです。
「歩けない」という障害を、「神の怒り・神よりの罰」として当時の人々が理解していていました。「彼が立ち上がり、歩き出した」ということは、「神の怒りの終結」を意味していると言うべきでしょう。「キリストの名によって歩きなさい」ということは、「キリストの名による神の赦しを受けよ」という「宣言」なのです。
十字架につけられた神の御子の苦しみとその死が、罪に対する神の審きを解消したのです。
それこそが、教会に委ねられた「神の赦しの御業」です。この男は、神を賛美し、何をするよりも先に、「聖所へ向かって進んで行った」のです。そこにこそ、神の国への招きと喜びがあるのです。
「歩けなかった者が躍り上がって立ち、歩き出した」との肉体の癒しは、神の赦しをこの男に知らしめる「現実的なしるし」と理解すれば十分でしよう。真実の奇跡とは、障害の癒しではなく、神に対する「罪の赦し」なのです。
十字架によって罪の贖いを獲得された御子キリストを「主」と仰ぎ、すべての人間に与えられる「イエス・キリストの名による赦しの宣言」こそが、教会に与えられた、霊的な務めであり、教会固有の業です。それ故に、ペトロとヨハネは、「わたしが持っているもの」と言い切ることが出来たのです。この奇跡は、ペトロの持つ「神秘的な力」ではありません。これこそが「キリストによって与えられた私たちキリスト者の力」であり「教会の業」であると聖書は力強く宣言しているのです。
私たちは、今、何を「持っている」のでしょうか。
何を「持っている」と断言できるのでしょうか。
今、私たちは、周囲の人々の前に「何を指し示している」でしょうか。
私たちに対する「神の恵み」「神の憐れみ」「神の顧み」は十分なのです。キリストに従う教会に、「欠けるもの」はありません。それ故に、悲惨の中に苦しむ者に、「私が持っているものをあげよう」と、私たちキリスト者はハッキリと言うことが出来るのです。
「わたしたちを見なさい」(4節)。これこそ、救われた喜びに生きる私たちキリスト者の姿であり、罪の中に閉じこもる世の人々の前で、「私たちが語らなければならない言葉」なのです。
そしてキリスト者は、新しい世界に生きる自分の姿を示すことによって、「キリストによって与えられた新しい世界」へ、人を招くことが出来るのです。「何よりも価値あるものを私は持っている」という確信があり、その「何よりも価値あるもの」を家族をはじめ周囲の人々に顕すことが出来るからです。
お一人でも多くの方々が救われますよう、お祈りを致しましょう。