イエスの拒否

《賛美歌》

讃美歌187番
讃美歌217番
讃美歌332番

《聖書箇所》

旧約聖書:エゼキエル書 35章15節 (旧約聖書1,354ページ)

35:15 お前がイスラエルの家の嗣業の荒れ果てたのを喜んだように、わたしもお前に同じようにする。セイル山よ、エドムの全地よ、お前は荒れ地となる。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。

新約聖書:マルコによる福音書 3章7-12節 (新約聖書65ページ)

3:7 イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、
3:8 エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。
3:9 そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。
3:10 イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。
3:11 汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。
3:12 イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。

《説教》『イエスの拒否』

先週の礼拝では、安息日に主イエスがユダヤ人の会堂で片手の萎えた人を癒されたことが語られました。この癒しのみ業がなされた結果、ファリサイ派の人々は出て行って、ヘロデ派の人々と、どのようにして主イエスを殺そうかという相談を始めたのです。

本日はその続きです。初めに、「イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた」とあります。湖とはガリラヤ湖です。主イエスと弟子たちは会堂を出てガリラヤ湖の方へと立ち去られたのです。ここは口語訳聖書では「退かれた」となっていました。その方が原文のニュアンスを伝えています。ただ立ち去ったと言うよりも、退いた、退却したのです。それはファリサイ派やヘロデ派の人々の敵意、殺意が高まっていたからでしょう。ユダヤ人の会堂はファリサイ派のホームグラウンドです。そこから逃れてガリラヤ湖の方に退却したのです。

しかし、その退いた主イエスの周りには沢山の人々が集まって来ました。すぐ後に、「ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。」とあります。

ここに出てくる地名で、「ガリラヤ」とは主イエスの活動の中心地であり、ガリラヤ湖の西側、当時カナンと呼ばれていた地方の北部にあたります。それに対して続いて挙げられているる「ユダヤ」とはエルサレムより南の地方、カナンの南半分をさしています。

また、「エルサレム」とはその真ん中、古くからの都というよりユダヤ人にとっては世界の中心である都を意味していました。これらの地域は、サマリヤを除くカナンの全域であり、ユダヤ人の全居住地を意味します。

続く「イドマヤ」とはユダヤの南、ネゲブ砂漠に隣接するエドム人の地、ヘロデ大王の出身地です。

また、「ヨルダン川の向こう側」とは現在のヨルダン王国であり、当時のペレア・ギレアドなどパレスティナ東部を指します。最後の「ティルスやシドン」とは、遠く現在のレバノンの海岸地方であり、これらはユダヤ人の居住地に隣接する全ての地域を含んだ広大な地域です。

この頃の主イエスが「これほど広く人々に知られていたとは考えられない」と言われますが、多分その通りでしょう。事実、これよりかなり後の主イエスが十字架に架かられた時でさえ、ユダヤの地方総督ポンテオ・ピラトはナザレのイエスのことを何も知らなかったのですから、主イエスの活動の初期の時代、ここに記されているような広範囲に及ぶ地域の評判を得ていたとは考えられません。

ここに挙げられている地名は、初めに見たとおり、ユダヤ人が住む地域と隣接するあらゆる地域です。ガリラヤの農民や漁師たちにとって、境を接する地域が、言わば庶民たちの「全世界」でありました。ですから、マルコによる福音書が語ることは、あらゆる所から人々が集まって来たということであり、主イエスの御前に立つ者は「一定の地域の人々、限られた人々」ではなく、「全ての人間がイエス・キリストに関っている」ということなのです。ファリサイ派たちの敵意とは別に、群衆は指導者たちの意に反してナザレのイエスを追い求めて集まり、今や、誰も止めることが出来ない勢いになっていたのです。それを聖書は「あらゆるところから人々がやって来た」と述べているのです。

しかしながら、大勢の人々が集まり、主イエスを取り囲んでいますが、群衆に囲まれた主イエスに、少しの喜びもないのは何故でしょうか。むしろ、主イエスはそこから「逃れたい」と思っておられると見ざるを得ません。

私たちは、神の栄光を表すことを人生の目標としています。キリストの喜びを願って日々の生活を送っている者です。その私たちは、このような「キリストの拒否」を考えたことがあるでしょうか。もし、キリストの喜び、キリストが受け容れて下さることを願うならば、何故ここで主イエスがこのような「拒否」を示されるのかを十分に理解しなければなりません。

今、「イエスは逃れようとしている」と言いました。この部分の主題は、まさに「逃れるイエス」なのです。7節に「イエスは立ち去られた」と記されています。「立ち去る」と訳されている言葉は「危険を避けて逃げ去る」という意味でもあり、マルコ福音書で、この言葉が使われているのはここ一箇所だけです。

7節に記されている「湖の方へ立ち去られた」とは、単なる移動ではなく、カファルナウムの街なかにある会堂から「湖岸へ逃げ去って行った」ということなのです。主イエスは何故彼らに背を向けたのでしょうか。

あえて言えば、「論争からの回避」と言うべきでしょう。2章1節からここ迄、ファリサイ派との論争を主イエスは続けられましたが、その論争から何がもたらされたでしょうか。議論をして相手を改心に導くことは極めて困難なことです。議論の危険性は、自分を見失ってしまう傾向が強いということです。たとえ自分の全てをかけた真面目なものであっても、いつの間にか、その言葉が自分を離れたところで空転して、議論のための議論となってしまうことがあるのです。

私たちの議論とは、自分の持っている知識や経験をひけらかすことから始まり、果ては屁理屈と感情的な反発でどうにもならなくなることがあります。議論で敗れたからと言って、直ちに態度や主張を変える人は極く稀れであり、後には憎しみと怒りが残るだけです。こんな経験は誰にもあることでしょう。主イエスの御言葉と御業の前に敗北した結果、「殺してやる」とまで考えるようになった6節のファリサイ派の人たちの姿は、憎しみしか残らなかった自己主張で凝り固まった多弁な私たち人間の典型でありました。

主イエスが背を向けた「危険」とは、ファリサイ派の人たちの心の中に増大するそのような「新たな罪」でした。神の御子と共に居りながら自分の頑なさに囚われ、自分の立場の砕かれることに怒りを感じる人間、ただ憎しみを募らせるだけの人間、罪に囚われた人間の惨めさ。その現実を前にして、これ以上、敵意と憎しみを増大させないために、主イエスは自ら立ち去られたのです。

実り少ない議論に終始する人間に対し、主イエス御自身、遠ざかることによって、新たな罪を増し加えることをさせぬ憐れみを示されたと理解すべきでしょう。私たちも、自分の雄弁がキリストを遠ざける結果になるということを自覚すべきではないでしょうか。

9節から10節には、「そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからである。」と、主イエスは群衆から逃れようとしています。「押し寄せた」ことが危険なのではありません。「触れようとした」ことが問題なのです。

人間は古くから、「神聖なものに触れると力を受ける」と信じて来ました。5章25節以下に記されている「十二年間も出血の止まらない女」が、主イエスに近づき、「密かに後ろから触った」と記されています。「服にでも触れれば癒していただける」と信じたからです。

「触れれば治るのか」などと笑ってはいけません。東京名所の浅草寺の本堂正面の大きな鉢で、香が焚かれています。その煙を身体に付ければ無病息災、手のひらで煙を掴んで悪いところへ付けています。毎日、数え切れない数の人々が煙を自分の身体に付けようと一生懸命です。

このような行為の問題点は、「煙に力があるか否か」ということではなく、触るのが「人間自らの自発的な行為である」というところにあります。立ち上る煙に奇跡を生む力があると思う人間の意志と、その力を利用しようとする人間の行為が奇跡を生むと考えられています。それ故に、人は先を争って煙に手を差し伸べるのです。不思議な力を持つ神を自分の欲求のためにのみ利用しようとする人間の姿。これが「罪」の現実であり、現在の世界の実情を雄弁に物語っていると言えましょう。

既に見たとおり、マルコは「あらゆる所から人々が集まって来た」と語っていました。そして、その人々がただ主イエスを利用するだけであるとするならば、実は、「あらゆる人々が全て罪の中にある」という決定的な告発になっているのです。ここに記されているのが全ての人間の問題であるとするならば、全ての人間はキリスト・イエスの御前で罪の姿を示していることをマルコは語っているのです。

主イエスはその人々を拒否されたのです。罪の中にある者をキリストが拒否されるということには、理解し難いものがあるかもしれません。もちろん、キリスト・イエスは、罪の中にある者を救うためにこの世に来られた方です。しかし決して、罪の行為に迎合する人間を赦されないのです。私たちは、その罪を知り、御心から離れた自己本位な姿勢が、御子キリストから徹底的に拒否されていることに目覚めなければなりません。私たちが、その自分の罪を知り、御心から離れた自己本位な姿勢から離れること、それこそが、「悔い改め」なのです。

そして、11節には、「汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、『あなたは神の子だ』と叫んだ。」とあります。何とそれに続く12節では「イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。」とあります。

汚れた霊たちの「あなたは神の子だ」という言葉は、確かにファリサイ派の人々や群衆より正しいと言えるでしょう。

ファリサイ派は主イエスが神の子であることを認めませんでした。群衆は主イエスが神のような力を持つことしか認めませんでした。それに反し、汚れた霊ども、つまり汚れた霊に憑かれた人たちは「イエスは神の子である」と人々の前で叫んだのです。その言葉は私たちの「信仰告白」と同じです。しかしその告白を主イエスは拒否されたのです。

「厳しく戒められた」と記されていますが、「戒める」と訳されている言葉は「叱る」という意味の言葉です。「イエスは悪霊を厳しく叱りつけ、そのようなことを絶対に口にしてはならないと命じられた」という意味です。

正しい告白が、何故、拒否されるのでしょうか。主イエスは、何故、その告白を禁じたのでしょうか。

「汚れた霊」「悪霊」とは徹底的に神に敵対するものです。主イエスが神の子であるとの正しい認識を持ったとしても、その本質は変わりません。「汚れた霊に憑かれた者」とは、昔の人々の迷信ではなく、正しい知識を十分に持ちながら、また正しくその事柄を認識しながら、なお自分自身を変えようとしない人間を意味するのです。自分自身が「小さな神」となり、永遠なる神の絶対性を信じない者、神を自分の都合のためにのみ利用しようとする者、それらを「汚れた霊に憑かれた者」「悪霊に憑かれた者」と呼ぶことが出来るでしょう。

主イエス・キリストは、そのような人々との共存を拒否されるのです。「信仰告白」とは、単なる言葉ではなく、その言葉を「生きる姿で如何に表しているか」ということを問われているのです。

ここまで、主イエス・キリストが、人間の罪に対して徹底的に背を向けられることを見て来ました。私たちはこの主イエスのお姿から、罪の世界に埋没した人間の悪に対する、毅然とした姿勢を読み取らなければなりません。主イエスは人々の罪に対して、いささかの妥協もなさらないのです。如何に多くの人々が集まろうとも、ただそれだけで喜ばれることはないのです。

この日の会堂に集まった人々は、期待外れで落胆したでしょう。自分の苦しみを解決して貰えなかった人々は、かえって絶望したかもしれません。故郷ガリラヤの人々を愛する主イエスにとって、むしろ実に辛いことであったでしょう。

しかし主イエスは、この辛さに耐えて行かれたのです。いやそれどころか、むしろそれ以上に、罪に埋没している人々の姿を見ることによって、更に、十字架への道を歩むことの意味とその必然性を確信されたと言えます。

主イエス・キリストの十字架は、自己中心に生きる私たちに対する、神の正義による拒否です。そしてその拒否こそ、愛の頂点なのです。神様が喜ばれる生き方とは、キリストの断固とした拒否の中に「愛の道標(みちしるべ)」を見出し、御前に悔い改めてヘリ下ることから始まると言えましょう。

お祈りを致します。

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怒る主イエス

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌Ⅱ-57番
讃美歌9番
讃美歌23番

《聖書箇所》

旧約聖書:コヘレトの言葉 3章19-20節 (旧約聖書1,037ページ)

3:19 人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、
3:20 すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。

新約聖書:マルコによる福音書 3章1-6節 (新約聖書65ページ)

◆手の萎えた人をいやす

3:1 イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。
3:2 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。
3:3 イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。
3:4 そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。
3:5 そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。
3:6 ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

《説教》『怒る主イエス』

本日からは、マルコによる福音書の3章に入ります。最初の1節に「イエスはまた会堂にお入りになった」とあります。1章の21節以下に、主イエスがカファルナウムの町の会堂に入って教えたことが語られていました。そして1章39節には、主イエスがガリラヤ中の会堂に行って教えを宣べ伝えたとあります。主イエスはガリラヤ地方で伝道の活動を始められたのですが、最初の頃にはあちこちの会堂で教えられました。会堂とはシナゴーグと呼ばれ、ユダヤ人が安息日ごとに集まって神様を礼拝し、律法の教えを聞く所です。主イエスはその安息日の礼拝に出席して、そこでお語りになったのです。

この日の会堂には、「片手の萎えた人」がいました。主イエスが話をしておられる、その礼拝、集会の場に、障碍を負って苦しんでいる人がいたのです。そこに集まっていた人々は、主イエスがこの人を見てどうなさるかに注目していました。2節には、「人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた」とあります。主イエスと弟子たちは安息日の掟をきちんと守っていない、という批判が高まってきていたのです。そういう中で、人々は主イエスが安息日に、この「片手の萎えた人」を癒すのかどうかを注目していました。それは「イエスを訴えようと思って」のことです。主イエスが癒しをされたら、安息日にはしてはならないことをしていると訴えよう、という悪意をもって注目していたのです。

ところで、安息日に人の病気を癒すことはしてはならないことなのでしょうか。当時の律法学者たちの見解においては、命の危険がある病気や怪我の治療は安息日にも行ってよい、とされていました。しかし今すぐ治療しなければ命に関わるのでない、明日まで待つことができる治療行為は、安息日には休まなければならない「仕事」に当たると考えられていたのです。普通の医院は休みだが救急病院はやっている、というのと同じです。この人が、「片手の萎えた人」だったと語られていることにはその点で意味があります。これは、今すぐどうにかしなければ死んでしまうという状況ではないということです。安息日はその日の日没には終わるのですから、数時間待って、日が暮れてから癒しを行えば、安息日の掟にひっかかることはないのです。今この会堂での安息日の礼拝の中でこの人を癒すというのは、当時のユダヤ人たちの感覚では、律法を意図的に破ることを意味していたのです。

 

まさに、主イエスご自身もまさに意図的にそれをなさったのです。3節に「イエスは手の萎えた人に、『真ん中に立ちなさい』と言われた」とあることから分かります。この人をわざわざ会堂の真ん中に連れ出したのです。それはある意味では残酷なことです。片手が萎えているという障碍を負って生きているこの人は、ただでさえ人々から好奇の目で見られ、つらい思いをしてきたのだと思います。なるべく人前に出たくない、人々に自分の姿を見られたくない、というのが、この片手の萎えた人の思いだったのではないでしょうか。それを、多くの人々が集まる安息日の会堂の真ん中に立たせるなんて、主イエスはなんと思いやりのないことをするのだ、とも感じられるかもしれません。

加えて、当時の人々が病気や身体の障害について持っていた特別な意識を理解しておく必要があります。これまでもお話ししましたが、当時の人々は、幸福が神からの賜物であると信じた反面、不幸、この場合身体に障害があること、そこに神の怒り・裁きを指摘し、苦しみは神の怒りの現れであり、「その惨めさの中で罪の悔い改めをしなければならない」と教えられていました。幸いを与えて下さる神が苦しみを与えたとするならば、それ相応の理由がある筈であるとしたのです。これはまことに残酷な考え方であり、病気・障害の苦しみという肉体的苦しみに、更に精神的な苦しみを加えるものと言えるでしょう。

神の罰を受けていると見做されている人が、この時、会堂に居たのです。もちろん、不自由な手を癒してもらうために来たのではありません。定められた日に御言葉を聞くために、肩身の狭い思いをして、会堂の隅にいました。

会堂の席は、長老を筆頭に、律法学者・ファリサイ派の人たち、そして地域の人々が席を占め、「罪人」と呼ばれ差別されていた人々は一番後ろとされていました。長年の病気や肢体の障害で苦しむ人々は、礼拝においても人々の眼を意識しなければならないのであり、会堂に入ること自体、既に苦痛であったでしょう。会堂に来ることに喜びが見出されなかったと思われます。

会堂とは神の御言葉を聴く場所であり、神の御心を求めて祈る場所です。語られる御言葉を通して神の愛が満ち溢れる場です。その安息日の会堂で、彼らは主イエスを「訴えよう」と伺っていたというのです。2節にある「イエスを訴える」とは「告発する」ということです。同じく2節の「注目していた」という言葉は「悪意をもって様子を伺う」という意味です。「訴える」根拠は「安息日に肉体の苦しみを癒す」ということでした。彼らの主張は、「安息日の癒しは神に背く行為である」ことだからです。

しかしながら、聖書には「安息日を聖別せよ」とは記されていますが、「安息日に病気を癒してはならない」とは書かれていません。「安息日には神との交わりを重んじよ」これが律法であり、御心です。その安息日の会堂を、形式だけを厳守して、神を讃美する場を裁きと憎しみの場に変えてしまった人々こそ、安息日を汚したと非難されるべきでしょう。

 

主イエスの御言葉は人々にとって意外なものでした。人々は「イエスが密かに何かをするかもしれない」と見守っていたのであり、どんな小さな過ちでも許さないという気構えで注目していたのです。しかし主イエスは、会堂に満ちた人々に本質を示される道をお選びになました。

主イエスは、その男に「真ん中に立ちなさい」と言われました。父なる神の御心が「ここに立っている不幸な男を見放したままで有り得るのか」。それを主イエスは人々に問い掛けられたのです。

そして、続く主イエスの御言葉の「善を行うこと」と「悪を行うこと」。「命を救うこと」と「殺すこと」、このどちらが良いかと問われ答えられない人はいないでしょう。誰にでも分かることです。極めて簡単明瞭であり、ファリサイ派の人々も律法学者たちもこのことを教えて来た筈です。しかし、「彼らは黙っていた」と記されています。この沈黙は何でしょう。「善を行うこと」「命を救うこと」。「それらが良いことである」と知っていながら、はっきり言えない人々、それがここに集まっている人々の姿なのです。

もし、単なる理屈であるならば、彼らは雄弁に答えることが出来たでしょう。ファリサイ主義は議論を重んじ、律法学者たちは聖書の引用によって神学を展開する専門家です。

しかし、主イエスは神学議論をしようと言っているのではありません。片手の萎えた男を真ん中に立たせ、「この男の姿を見ながら答えよ」と迫っているのです。善について語れ、愛について語れ、救いについて語れ。そういうことではなく、「今、ここで、行うべき正しい業は何か」と問い掛けておられるのです。

主イエスが「見よ」とおっしゃっているのは、「神の赦しを必死に求めている一人の人間」のことです。この人の苦しみに対し、この人の祈りに対し、今、何をなすべきであるのかということです。「手が不自由なら手を治してやればよいではないか」ということではありません。「障害を癒してやればよい」ということでもありません。それは、医師の務めです。

安息日の朝、この場に来た人々は神の御心を聴くために集まり、神の栄光を祈ろうとしている筈です。それならば、栄光の主の御前において、苦しむ者と共に祈り、神の慰めが与えられることを願うのが「安息日に相応しい信仰者ではないのか」ということです。

真実に神の御前に平伏し、御心に従い、神の愛を信じ、苦しむ人と心を共にする時、一刻も早く平安が回復されることを望むのが、安息日に生きる人間ではないでしようか。身体の障害の問題ではなく、罪の重荷を背負わされている人の苦しみを、自分の苦しみと思えなくなっている心が問われているのです。会堂に集まっている人々の心に、この人の苦しみがどのような形で伝わっているのでしようか。主イエスは、ファリサイ派の人々の姿が「形式に囚われている」ということだけを非難しておられるのではなく、「今、心が、本当に、神に向けられているか」ということを厳しく問い掛けておられるのです。

 

4節で主イエスは、「安息日に律法で許されているのは、どちらか?」とは、「私たちはどう思うか」「あなたはどう思うか」という判断を求めているのではありません。「神は何を望んでおられるのか」という信仰の根源の問題を問われているのです。ファリサイ派の人々の沈黙はこの問いへの沈黙であり、神の御前にあって、「神を見ようとしない姿」と言わなければなりません。それ故にこの沈黙は、神と人間との恐ろしい断絶を表すと言うことも出来るでしょう。そしてこの断絶は、今日に至るまで私たちと神の間に続いているとも言えましょう。

 

5節で、「イエスが怒った」と記されていますが、主イエスが怒られたのは聖書ではこの場面だけで、他に10章14節に「憤る」という言葉があるだけで、主イエスは極めて温厚な方でした。ここで明らかにされた主イエスの怒りは、人々の答えが間違っていたとか、答えようとしなかったからではありません。神を仰ごうとしない人間の頑なさに対する怒りです。御心を考えるべき時、神の判断を仰ぐべき時に神の判断を仰ごうとしない人間への怒りです。それは、人間に対する愛を貫き通そうとする、神の御心に背を向け続けている者への神の悲しみの怒りです。

主イエスは、集まった全ての人々を慈しみの眼差しで見詰めておられるのです。律法を読みつつもそこに込められた神の御心を見ることが出来なくなってしまった人々に、神の愛、神の御心が、人間の苦しみをこれ以上放置し得ないということを、この癒しの奇跡を通して示されたのです。病気を癒す力があることを誇示するのではなく、父なる神は、何時如何なる時でも人間の苦しみに対して敏感であり、救いに篤く、「明日まで待つ」などとはお考えにならないということを示しているのです。

 

最後の6節に出て来るヘロデ派の人々とは、福音書の中に3回出てきます(マタ22:16、マコ3:6、12:13)が、ヘロデ王朝を支持する利権を握ったユダヤ人の団体で、ローマ帝国の支配を背景に、ヘロデ王家のユダヤ支配を望んだ人々で、極めて政治的色彩の強い団体でした。信仰を軽視し、礼拝生活を重んじない政治グループです。この安息日の会堂にも居なかった筈です。安息日厳守のファリサイ派から見れば、とんでもない人間の集まりであり、ファリサイ派の人々が敵視する集団です。ファリサイ派が会堂から出て、そのヘロデ派と相談したとは何たることでしよう。敵の敵は味方同士というべき、神に心を向けず、キリストの御言葉に従わない人間は「会堂の外において一致する」という現代に通じる姿を示しており、彼らの一致は、「キリストを抹殺しよう」ということでしかないのです。

 

安息日に関する一連の論争は、このようにして、人間の罪の深さと惨めさとを隠すことなく暴露して終わりました。主イエス・キリストの愛を踏みつける人間の姿が、神様が定められた一番大切な日に、一番大切な場所で顕わにされたのです。

この物語、論争の終わりが、「会堂に留まる主イエス」であり、「会堂から出て行くのが反対者である」という6節は、実に暗示に富んでいると言えるでしょう。父なる神より遣わされた主イエスが居られるところに、そして主の御言葉のあるところに、この教会にこそ、私たちの留まる場はあるのです。

神の御心を求める者の傍らに、主は必ず共に居て下さるのです。

キリストと共に会堂に留まる時、永遠に変わらず注がれている神様の愛が、私たちを支え続けるのです。

お祈りを致しましょう。

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安息日の主

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌239番
讃美歌497番
讃美歌67番

《聖書箇所》

旧約聖書:申命記 5章12-14節 (旧約聖書289ページ)

5:12  安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。
5:13  六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
5:14  七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。

新約聖書:マルコによる福音書 2章23-28節 (新約聖書64ページ)

2:23 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 2:24 ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。
2:25 イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。
2:26 アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」
2:27 そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。
2:28 だから、人の子は安息日の主でもある。」

《説教》 『安息日の主』

明けましておめでとうございます。今年もこうして皆様と共に聖書に耳を傾ける新しい年を迎えられたことを感謝します。今年は引き続きマルコによる福音書を連続してご一緒に読み進めて行きたいと思いますので、宜しくお願いいたします。

本日は「安息日」に関するお話ですが、「安息日」とは聖書で定められている最も重要な規定です。それがどのような意味で定められた日であるかを、先ず確認することが大切です。

ヘブライ語で“シャッバット”と呼ばれる「安息日」とは「休む」という意味です。そのことから、誰でも安息日と言えば、「休みの日」と考えるのが当然かもしれません。しかし、キリスト者であるならば、この「休む」ということが何から始まり、何を意味しているかを、聖書から考えてみたいものです。

この「安息日」とは、先ず第一に、「神様が祝福し、聖別された日」です。それは旧約聖書2ページ、創世記2章1~3節にあるように、「天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」と、創造の御業の最期に祝福し、聖別された日でした。

第二には、「神様との契約のしるしの日」であり、生命をかけて守らなければならない「聖なる日」「最も厳かな日」です。それは、旧約聖書146ページ、出エジプト記31章13~16節にあるように、「あなたは、イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちは、わたしの安息日を守らねばならない。それは、代々にわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである。安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる。六日の間は仕事をすることができるが、七日目は、主の聖なる、最も厳かな安息日である。だれでも安息日に仕事をする者は必ず死刑に処せられる。イスラエルの人々は安息日を守り、それを代々にわたって永遠の契約としなさい。」と、死をもってしても守るべき日でした。

第三には、出エジプト、「神様の救出を想い起こす日」です。旧約聖書289ページ、申命記5章15節には、「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。」とあります。

これら三つが、「安息日の制定」です。神の民イスラエルは、この安息日を厳守することで、周囲の諸民族の中に埋没しがちな弱小民族でありながら、自分たちの独自性とアイデンティティを維持し続けて来ました。

安息日は確かに「休みの日」です。如何なる仕事もしてはならず、それを汚す者、即ち仕事をする者は死刑に処せられると定められた厳粛な日です。同時に一週間に一回の休日でもありました。しかし、その「休み」とは、人間が身体の疲れを癒すことに第一の目的があるのではなく、ましてや、天地創造された「神様の休養」にお付き合いをする日でもありません。

天地創造の第七の日に「神はその日を聖別された」と記されています。「聖」と訳されているヘブル語の“コーデシュ”は、元来「分ける」「分離する」という意味で、信仰の問題に用いられる場合、神と人間との分離を示し、神に属するものと人間に属するものとの区別を表しました。「聖なるもの」とは「神にのみ属するもの」であり、「神によって特別に選ばれたもの」「特別により分けられたもの」を意味するのです。天地創造の第七の日を「神がその日を聖別された」ということは、その日を「特別な日として定められた」ということです。「特別な日」とは「神の創造を覚える日」であり、「神の契約の記念日」であり、「人間を奴隷の苦しみから救い出された神」への信仰を新たにする日なのです。主なる神の恵みを思い、「神の民・しもべ」としての姿を明らかにし、礼拝を献げる日であり、『その礼拝を守るため』に仕事を休むのです。

「仕事を休む」とは、「主のために休む」のであり、主なる神の御心に応える時、結果的に、一週間の労働で疲れた身体を休めることになるのです。三千年以上の昔から一週間に一度仕事を休んでいたのは、イスラエル民族をおいて他にありませんでした。六日間の労働で疲れた身体に安らぎを与え、社会生活の中で荒んだ心に神様を仰ぐ喜びを呼び戻すことが、安息日を定められた神の御心でした。安息日とは、私たち人間を見詰められる神の御心、愛の満ち溢れる日なのです。

本日の、マルコ福音書2章23節には、「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた」とあります。実にのどかな光景で、都会生活では味わえない農村風景が本日の舞台です。時は安息日とあります。弟子たちは何故「麦の穂を摘み始めた」のでしょうか。よく、面白半分で、何気なく道端の木の枝を折ったり、草をむしったりすることがあります。しかし>
この時の弟子たちは、マタイ福音書12章1節によると、「空腹になったので」と理由が記されています。そしてこれは、イスラエルでは認められていることでした。律法にはこのように定められています。旧約聖書317ページ、申命記23章25~26節に、「隣人のぶどう畑に入るときは、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよいが、籠に入れてはならない。隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよい>が、その麦畑で鎌を使ってはならない。」と、あります。これは、「家に持って帰るほど取ってはならないが、そこで食べるのはよい」ということです。おおよそ、一人の人が腹一杯食べたとしても、どれほどの損害になるのか。まして、そのようなことをする人はよほどの空腹であり、その空腹を癒すことが出来ることを喜ぶべきではないのか。これが律法というものの本来の精神です。律法は神から与えられた戒めであり、人間が正しく生きるための道しるべです。神が教えて下さった人間の正しい生き方とは、疲れた者を慰め、飢えた者を満たすことにあります。貧しい者が苦しむことなく、互いの助け合いによって日々の生活を喜ぶことが出来る生き方なのです。

では、ファリサイ派の人々は何を非難したのでしょうか。24節にあるように、「安息日にしてはならないことをした」というのがその理由でした。「安息日にしてはならないこと」とは、先程の出エジプト記31章14節以下に記されている通り「仕事」です。既に見て来たとおり、律法は安息日に仕事をすることを固く禁じていました。そこで神の御民として直ちに問題にせざるを得ないのは、それでは「仕事とは何か」という定義です。「してよい事」と「してはいけない事」の境目を明らかにしなければ、律法に従う生活を遵守することが出来ません。そこで律法学者たちは、律法の内容を事細かに定義して行きました。紀元二百年頃に編纂された権威ある口伝律法集ミシュナーには、伝承されて来た膨大な規定が残され、安息日に関する規定だけでも、何と24章にもわたって記されています。

ファリサイ派が律法を何よりも大切なものとして受け入れ、御言葉を重んじたということ自体は誤りではありません。律法は神より与えられたものであり、御心そのものと考えられていました。しかしながら、律法を見る彼らの眼が、律法本来の精神から離れ、「それをどのように守るか」ということのみに向けられたことが問題なのです。安息日は「聖なる日」であり大切な日です。しかしファリサイ派の眼は、「安息」即ち「休む」ということへ重点的に向けられていました。律法の専門家として、「安息日には仕事を休まなければならない」と教え、このことに「神の民イスラエルの基本的な姿が示されなければならない」と説いたのです。本来の目的と付随的な結果とが入れ替わってしまったと言えるでしょう。

このような理解に立つファリサイ派によれば、この時の主イエスの弟子たちの行為は「安息日に禁じられている四つの罪」を犯していることになります。麦の穂を摘むことは「刈り入れの罪」、穂から実を取ることは「籾殻を取り分ける罪」、手でもんで食べることは「臼で引く罪」、そしてこれらを合わせて「食事の準備をした罪」ということです。

25節から26節で主イエスは、「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」と言われました。

これは旧約聖書サムエル記上の21章1節以下に記されていることです。昔、サウルに追われ逃れたダビデがノブの聖所に立ち寄った時、祭司アヒメレクは、空腹で逃亡中のダビデに、祭司以外の者が食べてはならない「祭壇から下げてきた聖別された供え物のパン」を与えました。これは非常の場合、「例外はあり得る」という有名な故事であり、規定上は違反であったとしても律法の精神はそこにあるという実例です。

安息日に麦の穂を摘んだ弟子たちを責めるファリサイ派の人たちに、主イエスは「形を守ること」ではなく、「御心に従うこと」に重要な視点があることを告げたのです。ファリサイ派の立場から言えば弟子たちの行為は明白に律法違反でした。しかしそれは、父なる神がどのような眼差しで空腹な者を御覧になっているかということは、全く考えられていません。空腹に苦しむ者に、「安息日だから空腹のままで我慢せよ」と主なる神が言われるでしょうか。そもそも、聖書の何処にも「安息日に食事をしてはならない」などとは書かれていません。むしろ、安息日こそ、人間が最も大切にしなければならない日なのです。愛し合い、助け合い、支え合って生きる人間の姿を喜ばれるのが御心であり、そのように生きる人々との交わりの日を望まれるのが主なる神です。

弟子たちが麦の穂を摘んだことの背景に、この神の御心を見なければなりません。神が定められた安息日に、御子キリストと共に歩み、神によって許された食物を採る、この姿こそ、恵みの中にある人間の姿そのものと言えるでしょう。

さらに重要なことは、ファリサイ派の人々が安息日を論じるに当って、「礼拝」について全く触れていないということです。もし、主イエスの弟子たちがこの日、神を讃美することを怠っていたならば、この非難は正当であったでしょう。礼拝を怠ることは、どんな理由があったとしても正しい弁明にはなりません。何故なら、安息日こそが礼拝をするための日であり、仕事を休むことは礼拝を守ることから生じる恩寵の結果であったからです。そのことから見ても、ファリサイ派が、安息日の意味を「礼拝」よりも「仕事を休む」ことの方に重点を移してしまったことは明らかでしょう。

現代でも、この意味でのファリサイ主義は横行しています。日曜日は仕事を休む日であり、遊ぶ日、休息の日、家族慰安の日という考えが支配しています。「日曜日に何故家族サービスをしないのか」と言われて後ろめたい思いをする人もあるでしょう。「何故、せっかくの休みに教会へ行かなければならないのか」と言われて反論出来ない奇妙なクリスチャンも少なくありません。熱心なファリサイ派も不熱心な現代のクリスチャンも、主なる神が居られることを忘れている姿では、全く同じだと言わざるを得ません。

そして27節から28節で更に、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」と言われました。

「人のための安息日」とは、人が自由に行動して良いということではなく、人間が「正しい人間であるための日」という意味で理解すべきです。「イエス・キリストは主である」という告白を、他の六日間よりも純粋に、真心から告白できる日が現代の安息日、即ち「聖日」の意味なのです。

本日の物語では、ファリサイ派の人々の律法理解がいかに本末転倒になっているかがよく分かります。しかしこれは決して他人事ではありません。私たちは、神様が安息日を与えて下さった意味を本当にしっかりとわきまえているでしょうか。私たちがもし、教会に集うことで、神様からの安息をいただくのではなく、有意義な働きや意味ある奉仕をすることを第一とし、自分が役に立つ者となることを追い求め、その結果信仰に生きることは疲れることだと思い、自分より多くの奉仕をしている人には心苦しさを感じ、自分より奉仕をしていないと思う人を裁いたりしているならば、ファリサイ派の人々と同じ本末転倒に陥っていると言わなければならないのです。

このことをわきまえるなら、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会の礼拝に集い、神様を礼拝しつつ神様に仕えて生きる信仰の生活において、自分が有意義な働きや意味ある奉仕をすることを目的としてはならないことが分かります。礼拝を守って信仰者として生きることは、私たちが良いことをし、役に立つ人になるためではなくて、神様が、独り子主イエス・キリストによって与えて下さる救いにあずかり、まことの安息、休みを与えられるためなのです。しかもそれは私たちの自己満足や誇りを満たすことによる安息ではありません。むしろ神様は私たちを、そのような自己満足や誇りを満たすことを求める思いから解放して下さるのです。主イエス・キリストは、そういう疲れから私たちを解放し、まことの安息を与えて下さるのです。神様の独り子である主イエス・キリストが、何の役にも立たないどころか、神様に迷惑をかけてばかりいる罪人である私たちのために十字架にかかって死んで下さり、罪を赦し、神様の子として生きる新しい命を与えて下さったのです。私たちは、有意義な働きも意味ある奉仕も何もなしに、ただ神様の恵みによって安息を与えられ、明日へと歩み続ける力を、今日も礼拝によって与えられるのです。

お祈りを致しましょう。

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・・・以 上・・・

クリスマス イヴ礼拝説教「言(ことば)が人となった」

齋藤 正 牧師

《賛美歌》

讃美歌106番
讃美歌103番
讃美歌119番
讃美歌109番

《聖書箇所》

旧約聖書:創世記 1章1―2節 (旧約聖書1ページ)

1:1 初めに、神は天地を創造された。
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

新約聖書:・・・ヨハネによる福音書 1章1―14節 (新約聖書163ページ)

1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

《説教》『言(ことば)が人となった』

新約聖書には四つの福音書があります。福音書とは、2000年前にこの地上で人として生きて働かれた主イエスの活動記録です。ヨハネによる福音書は四番目の福音書ですので、第四福音書とも呼ばれます。この第四の福音書は、他の三つの福音書とはかなり違ったものになっています。マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書は、主イエスのご生涯を、ほぼ同じ調子で語り、共通する記事も多くあります。そのためにこの三つは並べて比較しながら読むことができます。そういう意味でこの三つを共に同じ観点から見る「共観福音書」と言います。しかしヨハネ福音書が語っている主イエスのご生涯は、共観福音書とはかなり違いますし、他の三つの福音書には語られていない話も沢山あり、かなり毛色の違う、独特な福音書です。そして、新約聖書にこのヨハネ福音書が入っていることによって、主イエス・キリストについての、また救いについての私たちの理解と認識は、大きな広がりと深まりを与えられているのです。

ヨハネ福音書は、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と語り始めています。この謎のような言葉によってこの福音書は私たちに何を語ろうとしているのでしょうか。「初めに」という冒頭の言葉によって、この世界の、そして私たち人間の「初め」を尋ね求めているのです。この「初め」、それは起源、根源と言う言葉です。この世界の、人間の、初め、起源、根源とは何か。それは「言」だ、と語っているのです。その「言」とは、私たち人間が語る不確かな、あやふやな、また不誠実な言葉ではありません。神の言です。神の私たちに対する語りかけです。この世界の、そして私たちの人生の、初めには、神の語りかけがある、とヨハネ福音書は宣言しているのです。そしてその神の語りかけ、言は、神と共にあり、言そのものが神であった、と続いています。それはこの福音書が、神の語りかけ、「言」を、一人の人格的な存在として見ているということです。そのお方とは主イエス・キリストです。14節まで読み進めるとそれが分かります。この福音書が「言」と書いて「ことば」と読む「言」とは、肉つまり人となって私たちの間に宿られた主イエス・キリストのことなのです。ですから、「初めに言があった」という謎めいた言葉で語り始められているこの福音書も、やはり冒頭から主イエス・キリストのことを語っているのです。主イエスとは、この世界の根源であり、私たちの人生を根底において支えている土台であるところの神の「言」、神からの語りかけなのだ、ご自身が神であられるその「言」が肉なる人となってこの世を生きて下さったのが主イエス・キリストなのだ、ということをこの福音書は語っているのです。

2節の「この言は、初めに神と共にあった」は一見、1節を言い直しているだけのように思えますが、「この言」と訳されているのは「このもの」あるいは「この方」という意味であって、それは1節の「言」を受けていると同時に、14節の「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」を既に意識しています。肉となってこの世を生きて下さった主イエス・キリストは世の初めに既に父である神と共におられたのです。この「初めに」は創世記冒頭の「初めに神は天地を創造された」を意識しているのです。神がこの世界を創造なさった時、そこに、言である主イエス・キリストも共におられ、天地創造のみ業に共に関わっておられたのです。そのことが3節に「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」と語られているのです。「言」であられる主イエス・キリストによって、この世の全てのものは造られたのです。主イエス・キリストは神によって造られた被造物ではなくて「創造主」であられるのです。主イエスは父なる神から生まれた子なる神であられ、まことの神として創造の初めから父と共におられるのです。しかしそれは父なる神と子なる神という二人の神がおられるということのではありません。神はお一人である、ということも聖書の根本的な信仰です。そこにさらに聖霊なる神が加わって、父と子と聖霊という三者でありつつお一人なる神であるという、いわゆる「三位一体の神」という神の本質的なお姿が見えてくるのです。ヨハネ福音書のこの冒頭の部分は、聖書においてご自身を啓示しておられる神が父と子と聖霊なる三位一体の神であられることを私たちが認識するための大切な役割を果しているのです。

6節になると、「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである」と、一人の人間のことが語られ始めます。ここで私たちの目は、この世のこと、地上を生きた具体的現実的な人間のことへと向けられるのです。このヨハネとは、「洗礼者ヨハネ」と呼ばれ、ヨハネ福音書を書き記したヨハネとはまったくの別人です。主イエス・キリストが宣教活動を始められる前に、洗礼者ヨハネが現れ、主イエスの伝道のための備えをしました。しかし、その洗礼者ヨハネがどのように主イエスのための備えをしたかは、ヨハネ福音書と他の三つの福音書ではかなり違っています。他の三つの福音書では、洗礼者ヨハネは人々の罪を指摘し、悔い改めを求め、悔い改めの印としての洗礼を授けました。自分たちが罪人であることを人々に意識させ、悔い改めて神に立ち帰り、向き合うことによって、救い主イエス・キリストを迎える準備をしたのです。それに対して、ヨハネ福音書において洗礼者ヨハネがしたことは何か。7節に「彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである」とあります。ヨハネ福音書における洗礼者ヨハネは、証しをするために神から遣わされた人なのです。証しとは、証言です。見たり聞いたり体験して知っていることを、「こうでした」と人に伝え、それを聞いた人々が「ああそうなんだ」と知るようになる、それが証しです。洗礼者ヨハネは、「光について証しをするため」に神によって遣わされました。その光とは、初めにあった「言」に命と光があった、と言われているその光です。5節に「光は暗闇の中に輝いている。暗闇は光を理解しなかった」と言われているその光です。そして9節では「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」と言われています。初めにあった「言」、自らが神であり、命であり、光であるその方がこの世に来られて、まことの光として全ての人を照らす、それは主イエス・キリストのことです。「言」も「命」も「光」も、主イエス・キリストのことなのです。その「光」である主イエスについて証しをするために洗礼者ヨハネが現れたのです。洗礼者ヨハネは、「証し人」です。彼は主イエスこそがまことの光であることを全ての人が知り、信じるようになるために証しして、救い主イエス・キリストの働きのための備えをしたのです。

これは、主イエス・キリストの現れとは、罪が支配するこの世の暗闇の中に、神の救いの恵みの光が輝き、罪の闇に打ち勝つ、というような象徴的なことではありません。そうではなく、人間を照らす光が、暗闇の中に輝いているのです。それは、まことの神である主イエス・キリストが人間となってこの世に来て下さり、この地上を生きて下さり、十字架の死と復活による救いを実現して下さったことを言っているのです。「人間を照らす光」とは、主イエス・キリストです。「光は暗闇の中に輝いている」というのも、私たちの罪によって深まっているこの世の暗闇の中に、主イエス・キリストが来て下さり、私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さり、それで私たちの罪を赦して下さり、その死からの復活によって、私たちにも復活と永遠の命の約束を与えて下さった、ということです。その主イエスが今、この礼拝において私たちと出会い、語りかけ、交わりを持って下さっているのです。この世の現実におけるどのような暗闇も、この主イエスの恵みの光に打ち勝つことはできません。暗闇は光を支配下に置くことはできないのです。

主イエスについての証しを聞いて、主イエスを神の言、救い主、まことの光として信じ、受け入れると、私たちには「神の子」として新しく生かされる、という救いを与えられます。

しかしそこには同時に、主イエスを受け入れず、信じない、ということも可能です。この世を生きている私たちは、自分がそのどちらの道を選び、歩むのかを問われているのです。「証しの書」であるヨハネ福音書は、そのことを私たちに問い掛けているのです。その最初の「証し」が洗礼者ヨハネです。洗礼者ヨハネから始まった主イエスについての証しを信じて受け入れ、世に来てすべての者を照らして下さるまことの光である主イエスによって照らされるなら、私たちも神の子とされて生きることができます。その信仰の歩みにおいて私たちも、まことの光である救い主イエス・キリストの証し人として、それぞれの生活の場へと、神によって遣わされていくのです。

お祈りを致します。

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キリストの御前に出る

《賛美歌》

讃美歌Ⅱ-30番
讃美歌187番
讃美歌000番

《聖書箇所》

旧約聖書:イザヤ書 43章25-26節 (旧約聖書1,132ページ)

43:25 わたし、このわたしは、わたし自身のために/あなたの背きの罪をぬぐい/あなたの罪を思い出さないことにする。
43:26 わたしに思い出させるならば/共に裁きに臨まなければならない。申し立てて、自分の正しさを立証してみよ。

新約聖書:マルコによる福音書 2章1-12節 (新約聖書63ページ)

2:1 数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、
2:2 大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、
2:3 四人の男が中風の人を運んで来た。
2:4 しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。
2:6 ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。
2:7 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
2:8 イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。
2:9 中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。
2:11 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」
2:12 その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

《説教》『キリストの御前に出る』

先週の説教では、重い皮膚病を患っている男の「癒し」というより、「救い」を主イエスがなさり、その評判を聞いた人々が癒しを願って殺到し、主イエスはカファルナウムの町に入ることができなくなりました。町の外の人の居ないところに移られましたが、それでも人々が主イエスのもとに集まって来てしまいました。

1節から、「家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった」とあります。この家とはおそらくシモン・ペトロの家と考えられます。

物語に入る前に、当時の庶民の家の構造をお話ししておきましょう。木材が極端に乏しいパレスティナでは、土に藁などを混ぜて固めた日干し煉瓦で壁を作りました。雨の殆ど降らない砂漠の国だから使える材料です。この家は壁が厚いので、夏は涼しく、冬は暖かいという利点もありました。壁から壁に約1米間隔で渡された梁があり、その上に泥で塗り固められ平たい屋根を乗せたというような簡単な作りになっていました。ペトロの家もおそらくこのようなものであったでしょう。

2節に、「戸口の辺りまですきまもないほど」と記されていますが、狭い漁師の家であり、近所の人々が集まっただけで一杯になり、入りきれない人々が戸口から中を覗いていたという状況が思い浮かびます。

この人々が何を期待して集まっていたのかは聖書からは分かりませんが、おそらく、再び奇跡を求めて来たのではないでしようか。しかしここで主イエスがなされたのは神様の愛の宣言であり、人間の救いに関する福音の説き明かしでした。人々は期待外れの思いをしていたでしよう。そんな話より噂に聞いた素晴らしい奇跡を見たいものだ。誰もが見たことのない驚くべき力を早く示してくれないだろうか。集まった人々の心はおそらくこのような奇蹟を期待するものであったでしょう。しかし、主イエスは福音を語られたのです。それが教会の始めであり、教会とはそのようなものでなければなりません。しかしながら、この集まりは思いもかけないことによって中断されてしまうのです。

3節と4節には、「イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。」とあります。既に述べた当時の庶民の家の構造から、緊急の時に屋根をはがすことは決して考えられないことではありませんでした。

ところが、そうは言っても、他人の家の屋根を剥がして、家の中を土煙・土埃まみれにして、行われている集会を中断させ、集まった人々の真ん中に頭上から病人を吊り降ろすとは実に乱暴で、無作法なことでした。部屋の中にいる人々の頭の上から、壊された屋根の泥や土埃がたくさん落ちてきたことでしょう。家の主人であるペトロにとって、言葉にもならない驚きであったに違いありません。

ところが、ここには、さらに驚くべきことがあるのです。この男たちの非常識さに勝って私たちを驚かせ、当惑させるものが、ここにあります。それが、このときの主イエスの仰った言葉です。5節に、「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた。」とあります。

主イエスはこの時、信仰の何を御覧になったのでしょうか。何故、このような宣言をなさったのでしょうか。

これまでも病気の癒しを主イエスは数多くなされてきました。主イエスのもとに来るのは、御言葉を聞く人より、病気の癒しを求める人のほうが圧倒的に多かったからです。そしてその都度、主イエスは病気で苦しむ人々の要求に応えられながらも、御言葉を求めることを知らない人々にガッカリなさった筈です。

それにも拘らず、主イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われました。ここに、私たちの眼と主イエスが御覧になる眼との違いが明らかになって来るのです。

今ここで、主イエスの眼差しは病気の男だけにではなく、このような非常手段に訴えて病人を運んで来た四人の男たちにも向けられているのです。私たちは彼らの行動を非常識なものと考えてしまいます。しかしそれでは、常識的な行動とはどのようなことでしょうか。病人を運んで来た四人の男が常識的に行動するとは、どうすることでしょうか。

この男たちが病人を連れて来た時、主イエスの居られる家は満員でした。中へ入る余裕はありませんでした。しかし彼らは諦めなかったのです。彼らの求めは、「場所が空くまで外で待とう」などという程度ではなく、「何としても中に入る」という行動に結び付きました。「何が何でもナザレのイエスの前に連れて行かなければならない」ということに心は集中していました。もちろんそれは「友人の病気を治したい」という次元のものでした。

主イエスがこの四人の男を御覧になり、彼らを受け入れられたのはもはや理屈ではありません。彼らの行動がどのようなものであり、正しいか間違っているか、或いは社会常識においてどうか、などということを主イエスは問題にされませんでした。四人の男たちは、ただひたすらに「キリストへ近づく」ということに集中しています。自分の前に置かれている障害を突破し、なんとしてもナザレのイエスの前に辿り着こうという凄まじい気迫を、この四人の男たちに見ることが出来ます。

主イエス・キリストとの出会いを妨げるものに対して、私たちはこれほど強引でしようか。主イエス・キリストに近づくために、私たちはこれほど力を出せるでしょうか。主イエス・キリストの前に出ることの価値を、私たちはこれほど尊く感じているでしょうか。

「病気を治してもらいたいだけではないか」と批判する前に、この世に来られた神の御子の前で、友人のために屋根をはがした男たちと、今の自分の姿とを比べてみるべきでしょう。

主イエスは彼らを受け入れました。この男たちの友人への愛と熱情を主イエスは喜ばれ、「よし」とされたのです。「ナザレのイエス以外に希望はない」という彼らの思いを受け止め、主イエスは救いを宣言されたのです。

「あなたの罪は赦される」。ここでの「罪」という言葉は原文では複数なので、生まれながらの罪である「原罪」ではなく、日々の生活の中で犯す罪、日々積み重なる「個々の罪」のことです。当時の人々が病気の原因と考えていたものを主イエスは取り去られたのです。「何か悪いことをしたから病気になった」と思い込んでいた人々に、「もうそのようなことで悩む必要はない」という宣言がここにあるのです。

6節と7節には「ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。『この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。』」とあります。さすがに律法学者たちは聖書に詳しく、ものごとを聖書に従って正しく判断しており、「罪を赦すのは神のみである」とはまさしくその通りです。もし、律法学者たちが主イエスを批判し、その正体を探るために監視していたのであるならば、「罪を赦す者は神のみである」との正しい答えがここから出て来る筈です。しかし、そのような考え方は、律法学者たちにとって「決してあってはならないこと」でありました。彼らにとって、自分たちが理解している律法を超える救い主など断固として認められなかったからです。ですから、彼らはこれまで多くの人々と共にペトロの家で、御言葉を聞いていながらも、実は、心の中で「そんなことがある筈はない」と思い、あら探しに熱心になっていたのです。律法学者たちは、その他大勢の人々と同じように、主イエスの御言葉を福音として聞いていなかったのです。

それに対して、屋根を壊してでも病人を吊り下げた男たちは、それを少しも信仰だとは思っていなかったかもしれません。しかし、主イエスは御自身に対する「強引な委ね」を受け止められたのです。

この男の病気は癒されました。もはやこの癒しが「罪の赦し」という御業の前では付録に過ぎないことは明らかでしよう。しかし、世の中には付録の方を大切にする人もいるのです。そこで主は「付録」において神の御子としての権威をお示しになったのであり、この奇跡は、かたくなな全ての人々の誤りを正す「思いやり」としてみることが出来るでしょう。

12節に「その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、『このようなことは、今まで見たことがない』と言って、神を賛美した。」とあります。

「今まで見たことがない。」とは、「聞かされた主イエスの御言葉」より、自分が目にした出来事の方が問題になっているということです。ここに、信仰の本当の意味を決して悟ることの出来ない人間の姿があります。

そして何よりも私たちが驚かされるのは、この人々の悟ることの出来ない姿にも拘らず、主イエスが人間の僅かな思いも見落とされず、受け止めて下さるということです。主イエスご自身が、この様な無知で、知ろうとしない人々に対して、怒ったり、落胆されたりせずに、丁寧に愛情あふれた対応をされているのです。

無知な人間の熱心さとかたくなな人間の批判の眼の前において、なおも神様のご愛とご栄光が、明らかにされているのです。神様の怒りを招くのではないかとさえ思える人間の愚かさに対してさえ、神様の赦しがなされるのです。

この素晴らしい神様の恵みである主イエス・キリストの救いを、皆様が大切にしたいと願っている人たちにお伝えしていきましょう。お祈りを致しましょう。

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